生きていて楽しいと思うときは、「本物」に出会った時ですね。人でも芸術作品でも自然の景色でも、本物に出会うことは喜びですね。
自分にとっての本物の人に出会うことが、人の生きている目的でもあります。自分にとって本物は、大物という意味ではありません。一番大切な人という意味ですね。
偽物とばかり遊んでいると本物に出会ったときに本物だと分かりません。気づかずに本物(大切な人)を逃がしてしまいます。または本物に、「あなたは偽物だ」と捨てられる。だから偽物は偽物としか付き合えないですね。本物は偽物とは付き合ってくれないのだから。本物と縁を持つには自分も本物にならないといけないですね。
偽物は本物になる努力をしないと。それは誰にでもその気になれば出来ることです。でも、偽物は自分は本物だと自己認識の間違いをしているから問題が起きる。
心の病はそういうところから起きることが多いな。心の病は自己認識肥大症でもあるな。自分を放してものを考えることが出来ないから。若い時はみんなそうだけど。
「己を忘れてものを見よ。ものを忘れて道を見よ」という言葉に本物という意味は集約されるな。
たくさんある本物のブランドの中に一個だけ偽物が入っていると、その偽物は本物として扱ってくれるチャンスが出てくる。たくさんの偽物の中に一個だけ本物があっても、その本物は偽物として扱われる。
今、自分は偽物でも本物の中に入っていると、本物に染まっていずれ本物になるかも知れない。または本物と区別が付かなくなる。
偽物が本物を価値判断するという本末転倒のことが人の世の中で行われている。
と書いても意味が分からないだろうな~。「そうだ、そうだ、その通り!」と偽物が自分が本物だと思って他を評価している。
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