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海の幸、山の幸

海の幸、山の幸と言われます。両方が一緒にある国はどのくらいあるのだろう?魚の身とご飯の間にわさびを挟むことを最初に考えた人は偉大ですね。
人間は早足で一日60kmぐらい歩けます。女性は30kmぐらいですね。二日間で120km歩けば、もう海から山になる所が結構あると思いますね。そうすると海と山の産物の交流が出来ます。世界地図的に見ると、日本は海からすぐに山になっています。食としてはこんなに恵まれている国はあまりありません。
何百年も以前の話し、コロンブス以前はドイツや北欧、ロシアでは充分な食物が取れないで悲惨な状況で、ローマとの物々交換で人間を取引材料にしていました。奴隷の意味のスレイブはスラブ人から来ていると言われています。スラブ人を山で掴まえては奴隷として売って、代わりに食料などを手に入れていた。
日本中のスーパーにたくさんの種類の魚、肉、野菜、果物が並んでいます。国中の大小のスーパーにそんなに品ぞろいがある国はどのくらいあるのだろう?日本人にとって当たり前の光景ですが、決してそれは当たり前ではないですね。海の幸も山の幸も同時に食べられるなんて凄いことです。

話しは全然変わりますが、私が日本人について不思議に思うのは、明治まで、明治以降も結構使われていたのに、”わらじ”があります。靴という存在を知っていたはずなのに日本は靴文化をほとんど持ちませんでした。日本人には皮膚病が多かったので靴式の履き物だと足の皮膚病にかかりやすかったのかも知れませんが。それと外国では当たり前の牛や馬の去勢も一般化していなかったと言います。どうもその辺の理由がよく分からない。本にはもちろんそれなりの説明はありますが。知っていてもあえて馬車文化を日本に導入しなかったのも日本人の不思議ですね。
日本の食文化とともにそういう面で大陸文化と違うんですよね。神道も教義はありません。明文化した戒律もありません。理屈による合理性ではなく、身体や心で感じることを、理屈(知識)より優先していたのが日本人だったんですよね、きっと。これこれしかじかの理由でこれが正しいという理屈に従うのでなく、ただ正しいと感じることに従う。今、私も含めて、日本人は理屈が多すぎるのかも知れませんね。日本人はまだ西洋文明の理屈になれていない。だから今、(屁)理屈主体の大陸国家に翻弄されている。政府として、メディアとして相手に堂々と言い返せない。また憲法という明文化したものに本質的になじめない。だから拡大解釈という訳の分からないことになる。理屈で言えば、拡大解釈なんて有り得ない。百円は百円、千円は千円。
「人の命は地球より重い」と超法規的処理というのも政府がやっちゃう国。完璧に理屈を越えた思考というか感覚ですよね。いざという時には、憲法を逸脱しても、人の命には代えられないと納得してしまう国民だろうと思いますね。もちろん一部の政党は騒ぎますけどね。でも大衆はそれに付いていかない。
日本は、海の幸と海の幸の奪い合いではなかったから。
大陸は、何千年の奪い合い(略奪文化)でしたからね。まず相手を理屈で説得する必要があった。それに応じない場合に武力に訴えた。理屈も武力の内だったわけです。だからディベートというのがある。
バイリンガルという言葉があります。二つの言語を自由に話せることですね。
国際社会で生きて行くには、これからはバイ・ロジック、すなわち日本的思考と西洋式論理的思考の使い分けが出来ないといけない。世界平和には日本的思考が必要です。










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