5分間ほどの滝と滝瞑想のビデオを撮っている。映像を見る限り普通の滝瞑想としか想像出来ない。どのように瞑想したかはビデオからは誰も分からない。
何でも本を読んで分かったつもりになったり、CDを聞いたり映像を見て分かったつもりになっても本当のことは何も分からない。昔から言っているのですが、そういう情報はまんじゅうの皮ですね。見た目を作る外観の皮。皮を食べてまんじゅうが分かったつもりになっているのが多い。自分の足を運んで直接参加しないと何も分からない。何でも同じですね。ごのDVDを滝瞑想に参加した人が見ると意味は分かるが、そうでない人には、「良い雰囲気で瞑想していますね」としか分からない。
何でも知識はまんじゅうの皮ですね。人生もそうですね。繰り返し参加しての体験を通して、教えを道筋としていろいろな人生体験をして、まんじゅうの肉の部分を食べ、より深いところまで深めていって、あんこの部分は自分で会得するしかない、自分で悟るしかない。あんこの味は誰も教えることは出来ない。クンバハカだって天風会で教わったことをしている限り、まんじゅうの皮を知っているに過ぎない。安定打坐もみんな同じ。まんじゅうの皮はまんじゅうの一部だけど、まんじゅうそのものではない。
PR