学生時代にサークルの夏の旅行で長野県の嬬恋や木曽路、松本旅行を企画した。しかし当日台風が向かってきていた。前日の予報では、その日、超大型台風の直撃ルートにドンピシャリとぶつかる。行くべきか中止するべきか?
リーダーとしては、中止する勇気を持つべきか?強行すべきか?迷った。
で、「とりあえず新宿駅まで行ってそこで考えよう。」とみんなに言った。
で、途中で忘れ物をしたからと嘘を言って、途中で私だけ新宿に向かう電車を降りて歩いた。歩きながら沈思黙考した。思考を止めて思考する感じかな?
20分ほどしたら腹の中から、「大丈夫だ!行け!」という声が聞こえた。
で、新宿駅でみんなと再合流した。そしてみんなに言った。「行くぞ!」と。
不安になっている人もいたけど、「心配するな。何とかなる!」と言った。現地に着いたら台風がそれて足早に抜けて行った。日本晴れ!木曽川は予め降った台風の雨で濁流となって勇ましかった。三日間、ずーっと台風後の快晴。
それが沈思黙考して腹から答えを貰った最初の経験ですね。その後、仕事で答えが見つからない時に、20分ほど沈思黙考して答えを閃きとして貰ったことは何度かある。その声を、「自分の中のもう一人の声」と呼んでいる。
バブルの最中にマンションを売るべきかどうか考えた。元々値上がりしたら売るつもりで買ったマンションだから。2820万で買ったのが7000万まで値上がりしていた。考えていたら頭の右後ろ上から、「売れ!」という声が聞こえた。
で、売るために不動産屋を呼んだ。しかしその後でいろいろ考えて、仕事の設備も一人で引っ越しするのも、いろんな手続きも面倒だな。もう2~3百万上がれば売ろうと考えた。そうこうしているうちにマンションの購入者代表になって旧地権者との権利争いになって、旧地権者から訴えられた。
その間、バブルが崩壊して不動産価格はどんどん落ちていった。私も争いから逃げるわけにはいかない。とことん戦うしかない。で、裁判は4年半続いた。
その間毎月一回、東京地方裁判所に行った。「売れ!」という声に逆らって売らなかった結果だった。まあ、裁判は大変だったけど、大きな学びにもなったから、運命の一つとして良しとしようだな。
その右耳の斜め後ろ上から聞こえてくる声は、「守護霊の声」と呼んでいる。
ベッドに横たわって半覚半睡の状態で頭が機能していない時に、真上から声が次々に降ってきた。真理の内容だった。必死で覚えようとしたが覚えるという機能が働かない。一つだけ頭の中に何とか記憶した。
「人間は、神の真似をすることで人間になれる。」
それから極まれに声が降ってくる。ほんと、雨のように降ってくるという感じ。
「人類は(民族)分裂して、再度合流した時に、そこに文明が生まれる。」と。
そういう声は、「神の声」と読んでいる。
まあ、それにしても先日の朝に、頭の中から神鳴りのように声が聞こえたのは初めての経験だったな。本当に、”神の鳴り”だったな。それを何と呼ぼう?
PR