言葉無き実我の感覚を仮我が言葉にしたのが禅問答の答えですね、きっと。
だから仮我の世界の論理で聞くと、禅問答は非論理的で飛んでいる。
しかし実我の意識で聞く禅師は、それを納得する。
すなわち仮我の意識で答えた答えは同じ言葉でも不合格になるんですね。
仮我の意識で聞く普通の人は、なんか分かったような誤魔化されたような答えだと言って意味を理解できない。
臨済宗の場合、今は暗記による形式問答になっているのが多いと聞きますが。
長嶋茂雄やイチローの答はそういうことだね。いつも段階を越えて飛んでいる。
仮我と実我が一致した技が「極意」なんですね。
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