私も高二の時に臨死体験程ではないけれど、死にかけて幽体離脱した経験がある。その時見たことは誰にも言っていないし言わないだろう。他人には関係ないことだから。人は神(名無き神または宇宙霊)の存在を確信するためにいろんな経験をそれぞれさせられるんじゃないかな~?そんな気がしている。そのために経験させられるいろんな現象(金持ちになるとか乞食になるとか深刻な病になるとか)は神から見て対等なんだと思うな。人間個々はその現象(金持ちになりたいとか健康になりたいとか)を目標にするけど、神が人間に与え求めることは神・宇宙霊を本気で気づくことだけ。本の知識だけでは足らない。細胞で気づくこと?手っ取り早い方法は瞑想?安定打坐?面倒な方法は修行とか苦労かもね?だから安定打坐、修行、苦労は対等なんです。神の存在・働きに気付くための手段だから。何だか宗教っぽい話しだな~?
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