西部邁氏の自死について私には是非を判断出来る立場も知識も能力も無い。
15年ぐらい前の1月2日に私の友人であり先輩である、ある人がある駅で特急の前に飛び込んだ。彼の奥さんも私の友人だ。人が羨むほどの恵まれた幸せな家族生活をしていた。見た目も良く、頭も良く、いろんな趣味を持っている県庁の課長だったが、部長になれる出世が見込めない立場に立たされ、また仕事で何かの失敗をして鬱になっていたという話だが、正確なところは分からない。
その直前の12月末に彼に10年ぶりぐらいになぜか電話しようかな?どうしようかな?と思ったがしなかった。あの時、電話していれば彼の気分転換になって電車に飛び込まなかったかも知れない?という後悔は残っている。
事故死や病死なら彼の奥さんを慰めることが出来るけど、自死では何をどう言って慰めていいか分からない。だからずーっと彼女に会っていない。
いろいろ本を読んでも、自殺は魂が彷徨うことになる、上に上がれない、成仏しない、などと書かれている。鬱による自殺は、ガンなどによる病死と同一というように書かれている本を10年探したが見つからなかった。どこかに自死者やその残された家族の救いになる理屈はないのだろうか?自死者も時が経てば生まれ変わってくるらしい。そういう過去生の記憶の事例はあるようだが。ちなみに特攻などによる人や国を守るための死は自死の中に入らない。
クリック→→こんなのがありますが?思い出しました!ある神道系の修行者が、「神が認めないものは存在しないし起きない。起きたことは皆、神が認めたことだ!」と言っていました。
「う~ん、そうなんですかね?」と?マークで応えましたが、今はそれを信じたい気持ちですね。それにしても、そう言い切れる修行者は大したものですね。
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