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見舞客

意識不明の状態にもかかわらず母の病室には毎日たくさんの見舞い客が訪れている。私がこちらに戻る時には病室(個室)に人が入りきれないほどの人数になっていた。毎日訪ねてくれる人の中に、母の小学時代の同級生というお爺さんがいる。そのお爺さんといろいろ話していて中国大陸からの引き上げ時の話しも聞いた。
「逃げる時に中国兵から撃たれた傷がこれや」と腕の傷跡を見せてくれた。何の薬も無い状況で木綿糸で傷口を縫って本当に痛かったと。それから大陸から三千人の引き揚げ者を引率してきたと。会社(中国支店)からいろんな証明書と同時に10万円(三千円で家が建つ時代)を貰って(預かって)それらをみんな腹に巻いていたと。途中途中何かあるとその中から中国人に賄賂を渡して危機を乗り越えてきたと。「中国人はとにかく金や。賄賂として渡す金が無かったら殺されていた」と言っていた。船の中でたくさんの人が日本に着く前に死んでいった。見るのが辛かったと。そして日本上陸の時に余ったお金で、みんなに一人20円を渡し、自分は残った80円を貰ったと。考えてみると、そのお爺さんがそれをしたのは17歳の時になるな。戦後は外航船(三井商船)と内航船(関西汽船)の船乗りをずーっとしていたと。その後、小泉総理の時と安部総理(前回)の時に、政府から総理大臣の名前で賞状と記念品を二度貰ったと言っていた。
しかしそれら引き上げ時のことは家族にも誰にも今まで話していない。始めて私に話したと言っていた。

母がバスに乗ると、「勝子(私の母の名前)さんにバス代を出させるわけにはいかない」と乗客(もちろん乗客はいつも年寄りばかり)が小銭を出し合ってバス代をいつも払ってくれていたそうです。
義叔母が、「一緒に乗っていると私の分までみんなが一緒に出してくれるのでバス代を払ったことが無いけど、これからは自分で払わないといけなくなるな~」と言っていた。もちろんバス代210円は大きな金額ではないけれど、乗客の一人がそれを払うと他の乗客が不満に思うので、一人30円とか50円と公平に小銭を出し合っていたそうですが。
母には、恩があるから、いつもお世話になったからと見舞客が毎日たくさん来てくれる。

従妹の明美も同じように生きているみたいで笑ってしまった。明美の母親(私の父方の叔母)が亡くなった時も会社の上司、従業員、派遣社員がお金を出し合ってたくさんの弔慰金が集まったと言っていた。そしてそれをブラジルに送ったと。もちろん彼女はブラジルからの単なる派遣社員の身分です。単なる一派遣社員の母親が亡くなったというだけなのに会社中で弔慰金が募金されたそうです。でもリーマンショックの時は首を切られたと言っていた。その後、呼び戻されたと。
彼女もブラジル人と会社の間のもめ事の仲裁や会社のいろんな日本語をポルトガル語に無償で翻訳や通訳をしていると言っていた。そのために仕事の席を離れないといけない時があるけど、離れると仕事をさぼっていると上司に怒られる時もあるという。「もめ事はその時でないと解決できないんだから」と言っていた。「はははは、それで良い。神様はちゃんと見ていてくれるから、それで良いんだ」と私は答えた。我が一族のバカな血はブラジルで生まれ育っても変わらないな。

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