マズローの欲求5段階説というのがあります。第五段の上に霊性満足という第六段が後で付け加わっているという説もありますが。
第一段が満足しないと第二段に上がれません。第二段が満足しないと第三段に上がれません。生まれながらの教祖になるような人は別にして、ひとつひとつの満足の階段を上がって第五段にたどり着きます。第五段を会得するとそれまでの段階は気にならなくなる人が出てきます。キリストはちょっと違うかも知れませんが、お釈迦様も天風先生も不自由の無い豊かな環境から始まっています。まあ、おそらくキリストもマリア様の元で幼少期において四段階までが満足していたと思いますね。欲求四段階満足は幼少期においてこそ重要なんですよね。
幼少期の豊かさは大人の世界の豊かさとは違いますね。
天風教義では、本能心、理性心、霊性心という三段階が言われています。
(物質心、植物心、動物心、理性心、霊性心と五段階にも分けていますが。)
これも同じように本能心が満足しないで正しい理性心の会得は出来ません。
永平寺での修行で本能心の満足の無いまま正しい理屈を叩き込まれるので、自殺したり気が狂う修行僧が多いと経験者から聞きました。
マイナス要素の多い自分の潜在意識と学んでいる内容のギャップが大き過ぎて耐えられなくなるのが原因らしい。正しい理屈に潜在意識に隠れている自分が押し潰されるのでしょう。
すなわち観念要素の更改という手法が禅宗には無いからだと言っていました。
正しい理性心が働かないと霊性心の発動にはたどり着きません。
本の知識だけに拘って理屈を主張する人は結構多い。それは若い時の私。
理屈を中心的に言っている間は霊性心にたどり着けない。
霊性心が充分発動するようになると逆戻りしないで逆境でも理性心、動物心を正しく制御出来るようになるのでしょう。そのレベルに達している人は少ないけど。
幼児期においての動物心(皮膚感覚の愛情満足感など)が満足しないまま成長した人がいくら正しい理論理屈の知識を入れても、最後に出てくる答えはマイナス思考ですね。内観などの方法を使って潜在意識に入っているマイナス記憶をプラスに変換(観念要素の更改)して始めて、理屈、理論が身体の中に入っていきます。正しい理性が働くようになって始めて次の霊性心の発現に向けて修行することが出来ます。
このことに「そうは思わない。」という天風会講師もいます。天風教義を学べば階段を登らずに三階に飛び上がれるという信念を持っているのでしょうか?
個人的信念はそれぞれで良いけれど、そういう流れを否定する教えでは聞く方は成長する手段が得られないと思うな。自己満足の知識だけが増えてもどうしようもない。会員の個人レベルでは、それぞれだからそれはそれで良いけど。
まあもちろん、アフリカで饑餓で苦しんでいる人に霊性心がまったく無いかと言えばそうではないケースももちろんあります。饑餓で既に空腹感などが無くなって死に近づくと神性心が現れる人もいます。死期が近づいている人には確かに上記の各段階が超越されることになるのでしょう。神性心が現れると言うより神性そのものになるのかも知れません。饑餓や特攻など避けられない死に直面すると別次元のものが働くのではないでしょうか?そういう人達に対しては合掌するしかありません。そういえばチベットで人々の目の前で焼身自殺している僧侶に人々が合掌している写真を見ました。あの写真はショッキングでしたね。
そういう人の前で、「力だ!勇気だ!信念だ!」、「笑え~!」ではないでしょう。感謝と悲しみの涙と合掌ですよね。天風会は、そういう感性が足らないから若い女性が集まらない?
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