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何事も必要、必然、最善

すべてに理由がある。クンバハカが出来ていれば事故に遭うことも無いし、怪我や骨折になることもない。なぜならクンバハカが出来ていれば、そうなる前に無意識の内に危機を回避出来るから。しかし、そうなってしまうのもクンバハカを会得するためのチャンスが与えられたことになる。片足骨折などで別の片足で松葉杖をつきながら歩かないといけなくなるけど、その場合、肛門を締め続けないとバランスよく歩けない。すなわち片足の骨折とか怪我は肛門を締め続ける良い訓練になる。まあ、そうなってもクンバハカを会得出来ない人もいるけど。こればっかしは教えることが出来ない。それまでの、キュッ、キュッ、キュッという本人のたゆまない努力の結果として、一見運の悪い機会に常住クンバハカ態勢を会得出来るものですね。でもそれだけではまだ霊体にはならない。先は長い。
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信念が開く2

サマーディというヨガでの修行の言葉があります。意味はいくつかあるようですが、そのひとつは、土の中に穴を掘って密封して、その中で一週間生存できたら修行の卒業とされているようですね。その穴の中で普通の呼吸をしていると酸素不足で死んでしまう。自分の自律神経を調整して呼吸数や脈拍数を減らし、肉体の酸素消費量を半分以下にすることで生き延びることが出来る修行ですね。それで修行者の半分は死ぬようです。クンバハカが完全に会得出来ていないと出来ない修行ですね。
なぜそんなことをするのか?自分の命は自分のものでは無い。見えざる存在によって生かされているものだということを全身全霊で知るためなのかも知れませんね。自分の命は自分のものではなく、見えざる存在と多くの人によって生かされているということを本音で知ることが、本心煥発ということかも知れません。
そのために一度死ぬ必要があるからかも知れませんね。サマーディによって臨死体験で終わるのか?本当に死ぬのか?は、その人の運次第?またはそれを行う前の修行のレベル次第?臨死体験をした人には、俗に言う超能力が身に付く人もいるとか?修行のサマーディではなく、自分の意図ではなく運命によってそういう体験を必然的にさせられる人もいますね。

信念が開く

天風会では、「信念、強くなる!」といくつかの方法で自分に言い聞かせる訳ですが、分かったようで分からない話ですね。信念煥発と言います。
煥発とは、すでにあるものを奥から引き出すことを意味するんですよね。無いものを創り出すわけでは無い。では、それはどこにあるのか?
私が安定打坐で掴んだのは、信念は実我に元々くっついているものということですね。実我にくっついているものを表に引っ張り出せば良いだけ。
天風先生の講演テープでは、それは真我にくっついているものと言っている。
どちらにしても普通の人には訳が分からない話ですね。
信念を開く前段階として、新念をまず理性で創らないといけない。いろんな細かいマイナス感情の旧念をプラス理解や解釈の新念に置き換えないといけない。
それが観念要素の更改ですね。幼少時期から出来たたくさんの小さな旧念の新念への差し替えです。それは一人一人違う。
知識は観察力とか気づきを失わせる。何の本の何ページにこう説明されているというような説明では人を導くことが出来ない。知識ではダメなんですよね。
「今日は良い話しが聴けた~!」だけでは何にも身に付かない。

イギリス人が教える日本の歴史 これは日本人の集合的意識の観念要素の更改?


静寂

静かに座って、自分の運命をどうしたい、こうしたい、どうすれば自分の運命はうまくいくのか?どうすれば良いのか?などの思考や想いを放して、自分の運命も命も宇宙霊(神様)に任せきると、自分の肉体の中が不思議な静寂に満たされる。まあ、それが絶対積極の状態なんでしょうね?

階段

会得、実践、証明、見本、となれるかどうか?
また、そういう人がいるかどうか?だな。
会得まででも大変なのに、それからもそれそれの階段は高い。


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