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あらっ?

私のブログはマイナーなものなので多くの天風会員は読んでいない。
なので書くのですが、室外行修である古い会員がずいぶんいい加減な統一式運動法と積極体操をしていた。で、たまたま帰りにトイレで二人きっりだったので問いかけた。もちろん、もし、他に人がいればこんな失礼な問いかけはしない。
「お久しぶりです。○○先生の統一式運動法と積極体操はずいぶんいい加減ですね?」
「私のやり方が本当のやり方だ。私だけは昔に教わった方法を忠実に守っている。教義の委員会でそれを話しても誰も聞いてくれない。」
「そうなんですか?まあ、クンバハカと安定打坐は変えてはいけないけど、統一式運動法と積極体操は本質じゃないから多少変わっても構わないと思いますが?」
「私のやり方が他の人と違うということだけでも分かってくれると嬉しいよ。」
「そうですか?これからそういうことで観察させて頂きます。」
というような会話をした。
二人っきりの時によいしょする人はいても、切り込む会員は極々少数派。
まあ、私でなければ先生と呼ばれる偉い人にこんな問いかけは出来ないな。
体操の(細かい)方法でどちらが良いかは、それぞれを半年とかやってみて自分の体の反応を見て判断するのが良いと思うな。進化のための変化は良いと思うけど、今のやり方でも教わったことをきちんと実行出来ていない人は多い。
安定打坐の姿勢でも、講師の先生がいくら言っても坐る姿勢の癖を直そうとする人はほとんどいない。自分の姿勢の研究をする人は本当に少ない。
背中の曲がっている人は曲がったままが楽い姿勢だと思っているようだ。
姿勢は常に自分で工夫して研究しないと正しい楽い姿勢にはならない。
心の癖もそうなんだろうな?癖は自分で分かっていないことが多いから、自分で認識できないことは直せない。老人ケアーホームのつもりで来ている人は多い?まあ、それでも他に行くより立派なものだけど。
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自然動揺

養動法は自然動揺で行うと言われています。しかしながら自然動揺で行えている人はほとんどいません。日曜行修会参加の人達の中でそれが出来ているのは私以外では一人だけですね。その一人も出来るようになったのでなく、人生の肉体的危機の大きな山を越えて、自然になっちゃった!という感じですね。
ほとんどの人は筋肉で動かしている。筋肉で動かしている間は自然動揺ではないですね。心臓の鼓動のエネルギー伝搬による揺れが自然動揺ですね。
養動法の時は体は水袋の状態になることですね。水の真ん中で心臓が鼓動していてその鼓動が水の揺れとなって伝わってくる。それを回転運動に変える。
安定打坐の時は空気袋になることですね。最後は空気袋の袋の皮も無くなると一人前かな?私も皮(皮膚)が無くなるまで入るのはなかなか少ないが。体の中が空気だから心臓の鼓動の揺れは伝わって来ないが鼓動の音は聞こえる。その段階はまだ坐禅ですね。その聞こえることを意識から放した時に天の声を聴き本心煥発に入る前準備が出来たことになりますね。これが会得できるのに少なくとも10年はかかるが、5年で出来るような方法論が出来れば天風会員数は増えるかな?こういう感覚を掴むには姿勢の微妙な調整も必要だし、こんな解説をしてくれる先生もほとんどいないし。初心者にこんな話をすると、「何が水袋だ?空気袋だ?体は体だろう?ここはオカルトか?」と次から来なくなるし。

受け取る力、聞く力

見えない気とかオーラとか過去世とか見える人がいます。極まれに私も心眼で見える時がありますが、それは見る力では無いんですね。
相手の守護霊か実我か真我かは分からないけれど、読み取って欲しいと情報を発しているのをこちらが受け取っているだけですね。
こちらにあるのは読む力でなく、受け取る力、聞く力なんですね。
夏期修練会でテレパシーの訓練をしますが、それは読む力を養うんじゃなくて、受け取る力、すなわち聞く力を養う訓練なんですね。聞く力を養うために無心や無念無想が必要なんです。でも聞く力は力ではないんです。ただ素直な無心。こちらが無心であって初めて聞くことが出来るということなんですね。
すなわち読み取る能力を高めるのでないということですね。100mを10秒で走るような能力を高める訓練ではないのです。誰でも持っているものなんですね。
「読むのは難しくても、聞くぐらいは誰でも出来るだろう?」ということですね。
頭の中のおしゃべりを止めたら聞く力が生まれる。そういうふうに修練会で何度も教わっているけれど、オーラを見る力とかテレパシー能力を作り高めるという観念からなかなか離れられない。
天風会でもおしゃべりの多過ぎる人がままいますね。前で人が何かを話していても後ろでおしゃべりをしている。ところがその人達には自分がおしゃべりしているという観念がないようだ。自分がおしゃべりしているということを知ることがまず大事かな?それを知らないとおしゃべりを止められない。頭の中も同じ。頭の中のおしゃべりを止めないと。多くの人はそれが出来ないと言う。私もなかなか出来なかったが、今では出来ないのが分からないということになってしまった。

そうですね~?聞く力を養うだけだから難行苦行とは本来関係がないというのがお釈迦様の本来の教えなのかな?難行苦行をするのは透視能力や念力や呪詛力などの超能力を高めるためだからお釈迦様の教えとかけ離れている?
う~ん、そうかもな~?もちろん、「(修行で身に付いてしまう)能力は、考えるな!忘れろ!」という教えを高野山ではしているらしい。超能力はゲスの能力みたいだ。人が今何を考えているかが読める読心術なんか持っていたら大変だ。普通の人間はこの世を生きていけない。

気が主体

天風先生は、「男と女が結ばれる時は、先に気が結ばれる」みたいなことをテープで言っていますね。人の体が病になる時は、先にその人のその部分のオーラの色が悪くなって、そのパワーが弱くなる。すなわち病は先にオーラに現れる。オーラを気の一種として見たら、何事も気が先だと言うことですね。
女性が妊娠する時は、先にその女性が妊娠する準備満タンの気を発する。
そしてその夜に行為によって妊娠する。
男と女がセックスすると相手の気の欠片がくっついて、翌日には気のコンタミネーション(混濁)が起きている。それは良い場合もあれば、悪い場合もある。
だから見えないものが見える人には、みんなバレる。そんなことは見えてももちろん口に出来ない。世の中は結構怖いけど、そんなこと知らないから人は怖さを感じないで生きている。知らないことは無敵。人は皆、裸の王様。
その人のオーラの中にその人の親や師匠のオーラが混じっている時がある。
それでその人の親の人生や師匠のレベルが見えてくる。まあ、「そんなこと、分かるはずが無い!」で良いのですが。その方が良いですけど。
私は肉眼では気もオーラも見えないが心眼で分かる時が極まれにある。
人間は気が主体で肉体は従だと言うことですね。すなわち人間は本来、気の存在であるということですね。気はエネルギーだからエネルギー保存の法則が成り立っているということですね。人間はそれを知識で得ても、「気が本来の自分」とはなかなか思えない。なんやかんや知識を得ても、「心と肉体が自分」という観念から離れられない。心というものも分かったような分からない現象ですね。
英語で、I am being.というのがありますが、確か人間が神様に「あなたは誰ですか?」と問うた時の神様の答えだったと思いますが、beingを普通は、「名無き存在」と訳しているけど、「気という存在」と訳しても良いかも知れませんね。
人間も気なら、神様も気、それで人間は宇宙霊(神)の分身というのも頷ける?

体重と筋肉

昨年の夏ぐらいに歩いていて自分の体重が重いと感じて歩くのが面倒くさくなり始めていた。そこで毎朝、足の踏みつけ運動を30回、50回、80回、100回、200回、300回、500回と少しずつ増やして行った。
増やしている間は増やすのが目標で頑張ったが、500回を毎日やっていると目標が無くなって毎朝億劫になっていた。面倒くさいと思いつつ毎朝続けていた。
それからいろいろ変遷して今は足を上げた時の滞空時間を延ばさないと意味が少ないのではないかと気づいて、この夏から毎朝100回にして足の滞空時間を長くしている。さらに足を外に開きながらねじる運動も30回付け加えている。
尻弾力(スクワット)も100回していたが、ただ尻弾力(決断力)運動をするだけでは知恵が無いと思い、同じくこの夏から右脳と左脳を同時に活性化する方法として、手を挙げた時に片手はパー、もう片手はグーを交互交互にするようにした。右手と左手を同時に正確に違う動きをすることはボケ防止ですね。
ボケ防止運動を考えないといけない歳になったのは寂しいが、この10月10日からさらに工夫して、右手はグー、チョキ、パーと繰り返し、左手はチョキ、パー、グーと右手と左手でじゃんけんをするのを付け加えた。両手あいこなら負け。まま、それがきちんと出来るようになるのに約1ヶ月かかった。そういう工夫した尻弾力(けつだんりょく)運動は100回から減らして毎朝50回している。
そんなことを続けていて昨日歩いている時に気づいたのですが、
「あれっ?体重の重さを感じなくなっている?」と。
すなわち足の筋肉が出来るまでに1年かかったということですね。
天風教義の呼吸操練や統一式運動法はとても良いものだけど、歳と共に考えて工夫しないと効果が少ないと思いますね。若い時は体力と勢いでスピードが早くても良いかも知れないけど、歳と共にゆっくりと滞空時間を長くして、その滞空している時を感覚で味わないと筋肉の増進や意味の会得にならないのではないか?と感じる今日この頃ですね。呼吸操練も同じですね。呼吸操練は香里ですね。私が言うことは何も無い。
人が歳を取ることは知っていたけれど、自分が歳を取るとは思わなかった!


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