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今、ここ

普通の人間は、過去・現在・未来を考えます。過去苦労(後悔など)、未来苦労(心配)もします。出家(僧侶になること)すると法名を貰います。それは今までの自分は死ぬことを意味します。仏の世界からものを見る立場に立つことを意味します。
普通の人間の世界には、過去、現在、未来という時間があります。仏の世界には時間がありません。すなわち僧侶とは時間の無い世界から見ることでもあります。
仏僧にとって「今、ここ」しかありません。「今、ここ」しか無いことは、「今、ここ」も無いのです。なぜなら時間が無いから。時間が無いから輪廻転生もありません。輪廻転生は時間があるからあるのです。
我々世俗人は国が襲われたら国や家族を守るために鉄砲を担いで戦いに行きます。仏僧にとって国は存在しません。国が滅びようと仏僧は国を守るために戦うことはしません。家族を守るために戦うこともしません。ただ敵味方、家族関係なく死んだ人間を成仏を願って弔うだけです。
チベットでは僧侶の焼身自殺があります。それは国を守るためではありません。仏法を守るためです。仏法は宇宙です。
生きている者、死んでいる者、関係なく成仏を願いながら、乞食僧として山の道でただ一人餓死することも、大伽藍の大僧正として死ぬことも何の違いもありません。仏僧とは本来そういうものですね。しかし現実はなかなか難しい。
仏僧は庶民の代わりに学ぶのです。だから庶民は自分の代わりに学んでくれている僧侶にお布施をするのです。お遍路さんへのご接待も同じですね。遍路に行けない自分の代わりに歩いてくれているお遍路さんをご接待するのです。
人間は、一呼吸一呼吸が命です。命を吸って命を出す。
仏僧は、一呼吸一呼吸が仏です。仏を吸って仏を出す。



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