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真善美

天風教義には教えやテクニックがいろいろあるけれど、結局、真善美で生きるかどうか、生きているかどうかだと思いますね。今言っていること、今やっていることが真善美から離れていませんか?ということを常に自分自身に問うことですね。他人がどうあろうと、周りの人が汚く生きていようと、たとえ自分一人だけでも真善美から離れないということですね。真善美を考えていたら仕事が出来ないという人もいるかも知れない。見栄を張るためにお金が必要なのよ。楽しい遊びのためにお金が必要なのよ、そのために効率よく稼げる仕事、利益が出ることなら何でもするわと言う人もいるかも知れない。
でも死ぬ時、それで、「私はよくやった。良く生きた」と満足して死ねますか?ということですね。そう思えるならそれで良いし、そう思えないのなら徐々にそういう仕事はやめるべきですね。将来、清々しい気持ちで死ねる選択を今するべきですね。それはクンバハカのテクニックよりはるかに大事なことだと思いますね。それは見た目、損の世界かも知れない。しかしそれは魂の損ではない。魂の得であり徳ですね。
泥水の中で美しく咲く蓮の花が仏教のシンボルになっているのもそういう意味があるかも知れませんね。たとえ泥水という環境の中でも私は美しく花を咲かせる、静かに美しく生きるということなんでしょうね。
それには勇気が要りますね。本当の勇気の発現にはクンバハカが必要です。

かつての日本人の生きる基準は、「美」でした。すべてとは言いませんが、どちらが美しい生き方かということが選択の基準でした。忠臣蔵の物語などその典型ですね。あんなの正しいかどうかを判断したら正しくないですよね。損得で判断したら明らかに損ですよね。私も忠臣蔵の生き方に賛同しません。でも、それが日本人の生き方の美にどこか適っているから毎年年末に厭きもせず上映されるのでしょう。そんなふうに美を基準にした文化はおそらく他にありません。他の国では、得か損か、利益と権力が基準でした。ヨーロッパの騎士道は美の生き方だったかも知れませんね。部分的には外国にもいろいろあるかも知れませんが。お茶やお花も美の追究ですよね。西洋の生け花とは意味が違うのだろうと思います。外国の生け花は、おそらく単なる花のバランス的美しさですね。但し、レオナルド・ダ・ビンチの絵は単なる調和の美ではありません。まあ、そういうふうに個々にはいろいろあるけれど。全体として、庶民までが文化としてというのは外国ではどうでしょう?
今の日本も損か得かが基準になっていますね。でも、日本人の心の底にはどこか誰でも損得より美しい生き方を追究したい心はあるのだろうと思いますね。
そういう生き方が世界の平和をリードする種になるのではないでしょうか?
天風先生の言うところの、「世界平和は日本から」というのはそういうことではないでしょうか?平和を経済力でリードすることでも、軍事力でリードすることでもありません。もちろんそれらはそれなりに必要です。それらの無い国の言葉は誰も聞いてくれません。経済力も軍事力も美しく使う、美しく行動するところから世界平和は作られる。
今、あなたが真善美で選択する小さな判断が積もり積もって世界平和の礎になるのです。巨大なハリケーンの風も始まりは一羽の蝶蝶の羽ばたきから生まれるという説があります。それは同時に命を繋げてきたご先祖様に恥ずかしくない選択でもあるということですね。
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