そうだな、立命というのは作用・反作用が逆転するんだな。いろんな環境という作用の反作用として自分の心が作り上げられてきた。自分の意志で作用を働きかけることが立命で、それによって反作用を相手(人のみならず神様も)が受けて運命が変わる。
何が意志というのは難しいね。決心というのは当然のことだけど。
真性クンバハカというのは無意識の状態で出来るもんですね。何かを意識しているとその分、筋肉が緊張しているからクンバハカには入らないんだよね。
運命とか立命というのもそんなもんかも知れないが、ただ何も無い者が無意識をしても何もクンバハカにはならない。それまで修練していないと。
無意識での直感が本心煥発でもあるし。無意識と無心とはちょっと違う気もするし、同じなのかも知れないし。説明が難しいね。無意識で身体が反応することがある。クンバハカもそのひとつですね。????だから無意識(無念無想?)とかクンバハカというのは、無心が自在に出来ないと入れない世界ですね。クンバハカをただ、「肩の力を抜いて臍下丹田に気を込めて肛門を締め上げること」と教えている限り、そしてそれをただ実行している限り本当のクンバハカは分からない。それは神経反射の調節法かも知れないけど。天風先生は冷たい川の中で瞑想していて得られていた態勢なのだから、その原点を考えるべきですね。前に書きましたが、聞くこともなく聞こえている音が突然止まった時に入る心境が無念無想ですね。ブザーの音を意識して聞いていて、それが止まった時の無念無想は1秒の一瞬でしかない。
聞くこともなく聞こえている状態や心境は人工的に作ることは出来ない。だから無心が自在に得られるようになることは、到達点でなく出発点に立つこと。
普通の人には私が何を言っているか分からないな。立命から話しがそれた。
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