モンゴルで落馬して怪我をする人はほとんど日本で乗馬を趣味としている人なんですよね。モンゴルで殺された鈴木千恵さんもモンゴルに住んで5年でもうモンゴルに慣れて私はモンゴルを知っているという傲慢の状態に入っていたのではないでしょうか?「私は分かっている」、「私は出来る」、「私は大丈夫」という慢心が事故を起こすんですね。モンゴルやモンゴル人は日本人から見ると本当にいろいろ問題がありますが、でも魅力もあるんですよね。
モンゴル人は語学力、記憶力が抜群に良いのですがその分考える力が足らないと気づき始めました。論理的な考える力が増すと語学力が落ちるかも?モンゴル人は後先のことを考えないで行動する癖がある。でも遊牧生活というのはそういうもんなんですね。いくら考えても、いくら努力しても羊の数は増えないから。瞬間、瞬間、羊や馬の動きに人間が対応する知恵がモンゴル人の本能的思考形態なのです。それはまた一面魅力的に感じるのではあるが。
ここ数十年の突然の都市化生活では思考癖、行動癖は変わらない。最低3世代100年はかかる。私も心は都市生活人間にはなっていない。心や思考はまったくの田舎もんです。
スペインやイギリスは国家として再び力を持つことは無いだろうと私は思っています。なぜなら余りにもかつて人を殺しすぎたから。アメリカも100年後か200年後そうなるかも知れません。モンゴル民族もやはり800年前に人を殺しすぎたのでモンゴル民族が発展することはもう無いだろうと思います。もちろん個人レベルではいろいろ成功する人は出てくるでしょうが。チンギス・ハーンの心を受け継ぐ人はいなかったということですね。チンギス・ハーンが死んだらそれまでの人間の個人欲に戻ってしまったということですね。天と繋がった人の心を受け継ぐというのはどの国でも宗教でもほとんど不可能に近いのでしょう。