「私がわたしであるもの」
と心の中でつぶやくと無心になれる。これはいつでもどこでもできる。心の中でつぶやくだけだから。しかし安定打坐を朝または夜に正式にするときはこれをつぶやいてはいけない。天風会の教えるブザー方式とこれを同時に行ってはいけない。それは中華料理とフランス料理を同時に口の中に入れるようなものだからです。それぞれ一流の料理だがそれらを口の中で混ぜてはいけないのと同じですね。ホ・オポノポノのヒューレン博士が、「ホ・オポノポノの瞑想をするときは他の瞑想法をミックスしてはいけない」と言っていたことの意味が分かりました。曹洞宗の坐禅をするときは心の中でもその流儀に従うべきで、その時、より深く無心を取ろうとして、天風会流ブザーの音を心の中でイメージして無心を取ってはいけない。どちらが良い悪いではなく、二つは波長(味)が違うのです。別の言い方をすれば、演歌をオペラ歌手がオペラ流に歌うと演歌の心が伝わらないということですね。演歌は演歌で、オペラはオペラで素晴らしいものなんですね。
以前から天風会で安定打坐をするときにヨガ瞑想方式の両手を膝の上に乗せ、手のひらを上に向けて瞑想をする人が時々いますが、無心になれれば別にどの方法でも構わないと思いつつも、なんか違和感を感じていたのはそういうことだったんですね。
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