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仮説

「この世は、あの世の写し絵」と言われています。
すなわち、この世である3次元は、あの世である4次元の影ということですね。
3次元の影は2次元ですね。2次元とは3次元の物に光が当たって出来る影ですが、テレビも2次元ですね。テレビの画面は3次元の人間社会を映す影です。
霊魂の霊は真我、魂は実我かもね?宇宙はみんな相似形。
オーケストラの交響曲の演奏音楽は、交響曲の作曲家、各演奏家、指揮者で成り立っています。作曲家とは実我、演奏家とは潜在指揮にある観念要素、指揮者とは仮我の自分。いくら良い作曲(楽譜)であっても演奏家が自分勝手に下手な音を出したり、指揮者が作曲家の楽譜の意味や心を理解しないで適当に指揮棒を振っても良い演奏は出来ない。作曲家、演奏家、指揮者の三位一体にならないと感動的音楽にはならないですね。その三位の演奏から出てくる音は、人の言葉であり行動であり人格ですね。
演奏では上達していない段階では演奏家の技術が大事ですが、上達すればするほど特に指揮者が持つ曲に対する理解とイメージが大切ですね。
心に富士山を明確にイメージしていると自然クンバハカになるんですね。
心に描くイメージが如何に大切か、人を見て思い知らされた感じですね。
指揮者が心に持つ強いイメージが演奏家にテレパシーで伝わるのではないでしょうか?こんな話し、まるで村長さんの心理瞑想だね。

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理解と会得

学びは、少しの理屈→体感→会得→納得→理屈(理論)
の流れにならないといけないんだな。会得と納得の順番が逆の場合もあるが。
最初の少しの理屈で分かった気になるのが凡人だな。
十牛図なんか説明を最初に読んだ時は、「なるほどな~!」と分かった気になるが自分の言葉では説明できない。
勉強家は、「本にこう書いていた」と知識(単なる文字の記憶)を話せるだけだな。自分の言葉で、易しくたとえ話が出来ないと分かったことにならない。
「究極の旅 OSHO禅の十牛図を語る」OSHO著を買った。
大した内容です。ほんの一部抜粋します。
四。
「もし自分の馬鹿さ加減を理解できたら
それはたいした啓示だ
そのとおり
なぜならその点から
旅が始まるのだからー」
十。
自分の寿命を延ばす魔術など用いない。
いまや、私の目の前で
樹々は息を吹き返す
酒瓶をさげて市場に出かけ、杖を持って家に戻る。私が酒屋や市場を訪れると、目をとめる誰もが悟ってしまう」
とある。花咲じいさんですね。「作為無くして自然を行じる」というのはこの十番目の事を言うんですよね。

今夜、買ったばかりのワイヤレス・イヤホンで天風先生の真理瞑想を聴いていた。その状態で紅茶を入れようとしたら、大学に入って下宿生活をする時に買ってからずーっと使っているコーヒーカップを落として割った。拾い上げてゴミ箱に捨てたがその時、左手の人差し指の付け根を15ミリほど切ったが気がつかなかった。ふっと見たら血が一杯出始めてきた。痛みは何も感じなかった。
当然、気で出血を止めるべく、「エイッ!」と右手で傷口に送った。止まるはずだった?が止まらない。まま、ティッシュで血を拭きながら気を送った。5分ほどで止まった。気付いたのは、出血はバイ菌を洗い出すために必要だったんですね。それが必要な間は止まらない。傷口とその周りは送られた気を感じやすい。ということを理解した。
が、考えると自分の気の力で血を止めようとしたのは、まだまだかも?
「出血?あっ、出ているね。そのうち止まる。」と忘れて放っておくのが良かったのかも知れないと反省した。まあ、それと同時に二つのことをしてはいけないということですね。自分の出血を止めるのは人のを止めるのより難しい。



これしかないですね。

10の知識より1の会得。
10の理屈より1の実践。
10の正義より1の親切。
10の主張より1の傾聴。
但し、これらは日本の中だけで通用する。
1の知識で10の自我。
10の自我で100の理屈。
100の理屈で1000の自己主張。
??うん??昔の俺?いえいえ、きっと私ではありませんっ!どっかの国?



歩く方が・・・

歩く方が走るより長い距離を歩める。時間がかかるけどね。
多くの人は早く到達したがって走る。で息切れして、「この道は私の道じゃない」と言って辞めていく。

縁は宝

縁は宝なんだよな~!
でも、自分の小さなこだわりや感情、今までの人生で作られてきた自分の小さな価値観に拘って大きな縁を捨ててしまう人が結構いますね。勿体ないな~!と思うけど、それもその人の心や魂のレベルによるので如何ともし難いな。
みんなそれぞれの魂の階段を登っている。人が歩いている道は、かつて自分が歩いてきた道でもあるし、これから登る道でもある。
これから上る道を見つめる方が楽しいな。
階段を落ちないようにしないとな。それだけは気をつけて生きて来ている。





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