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神様

人間は、特に女性は神様を自分の価値観の範囲の中に取り込もうと引きずり下ろす。人間は困ったもんだ。
真理は常に人の思考の範囲の中には無い。
神は神の姿に似せて人間を作ったと言われますが、ある本に、「人間は人間の姿に似せて神様を作った」とありました。本当に人は自分の価値観に合わせて神様を作る・・・。だから以前にも書いたことがありますが、「人は神に出会って神に気付かず、幸せに出会って幸せに気付かず」なんですね。
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合理

合理は不合理かもなぁ~?
自分にとっての合理は相手にとって不合理だな。
親にとっての都合は子供にとって不都合だな。

プロ向け?アマ向け?

天風教義は人間の玄人向けだが、天風会の教えは人間の素人向けだな。人間初心者には良いけど・・・。

悟り?

禅宗では前世、来世の存在は認めていません。スピリチュアイズムやいくつかの宗教では当然肯定しています。でも、実はそれらは真理を右から見るか左から見るかの違いで同じだということは以前書きました。そして最近、一神教と多神教も実は同じものなんだと分かりました。そうなんです、一は多であり、多は一なんです。同じものの表現の違いなんです。やっとそういうことが分かりました。でもそういうことは神人瞑合した教祖は分かっていても跡を継いだ弟子が思考で考えるので、教祖の言葉を教条的に解釈して宗教戦争が生まれてしまう。
教祖が真理をなんとか一般の人に分かるように言葉を使ったものを、その言葉を真理そのものだと解釈してしまう。「ひとつは多数であり、多数はひとつである」なんて普通の頭の思考能力では理解できないから。

無抵抗

私は昔から、「戦う力が無ければ国や民族は滅びる。個人も国家も、戦う力があってなおかつ戦わないのが大事」と言ってきている。カルマ・ヨーガの本を読み始めたらまったく同じ事が書いていた。「抵抗する力が無いものが抵抗しないのは単なる臆病で卑怯者だ。抵抗する力があるものが抵抗しないのが徳だ」と。
『カルマ・ヨギは、最高の理想は無抵抗であると理解している人です。無抵抗という最高理想に到達する前には、人の義務は悪に抵抗することです。彼をして働かしめよ、敢然として行かしめよ。そうして初めて、彼が抵抗するだけの力を獲得したとき、無抵抗は一つの徳になるでありましょう。』 お~!これぞ日本の行くべき道だと思いますね。
こういうことも書いています。こんなことをスピリチュアルな本に書いてあるのを初めて読んだ。それぞれ別個には考えているがそれらを同じ問題として捉えるのは私にはちょっと混乱かも?
『もし家住者(出家者の反対の家族を持つ男の意)が彼の国または宗教のために戦って戦場で死ぬなら、ヨギが瞑想によって達するのと同じゴールに到達する』と。
『解脱とは、完全に自由のこと、つまり悪の束縛から解放されると同時に、善の束縛からも解放されることなのです』と。うーん、これはヒューレン博士が言っていた、「家族への愛はゲスの愛だ。もっと高いレベルの愛を持たないといけない」ということと似ていますね。


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