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仮我、実我、真我

天風会では、我には「仮我(かが)、実我(じつが)、真我(しんが)」の三つがあると教えています。そして仮我は順動と逆動に別れています。そのことは会でまま説明されるが他の二つは具体的には教えないというか教えられない。この三つを村長さん流に分類してみましょう。

仮我は言葉を持っています。そして思考は言葉によってなされます。
プラス思考の言葉や思考が順動仮我、マイナス思考が逆動仮我ですね。

実我は言葉を持ちませんが、感覚・感情(高品質の感情)と直感があります。
明るく朗らかに活き活きと勇ましくの言葉無き姿勢ですね。すなわち絶対積極心ですね。
それと真我経由で宇宙霊から入ってくる直感ですね。それは天風教義の言うところの霊性心ですね。言葉がないと批判、批評、愚痴、比較というものも無くなってくる。なぜならそれらは言葉によって頭の中でなされているのだから。

真我は言葉も感覚・感情もありません。人間の思考や感覚器官では捉えることができないものです。悟ったときに分かるものかも知れませんが私は悟っていないので分かりません。でもそれは宇宙霊(宇宙創造の大元)と繋がっている言葉も感覚もない「いのち」のエネルギーそのもの。そのエネルギーは宇宙意識(神意識)から来ている。
これが村長さん流分類ですね。
だから、「私がわたしであるもの」という言葉は、裏に隠れている実我を自分の表に呼び出すおまじない(マントラ)ですね。実我は言葉が無いので言葉無き状態、すなわち無心になるのです。
分かるかなぁ~?こういうの。こんな説明、天風会では聞けない。
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中国料理とフランス料理

「私がわたしであるもの」
と心の中でつぶやくと無心になれる。これはいつでもどこでもできる。心の中でつぶやくだけだから。しかし安定打坐を朝または夜に正式にするときはこれをつぶやいてはいけない。天風会の教えるブザー方式とこれを同時に行ってはいけない。それは中華料理とフランス料理を同時に口の中に入れるようなものだからです。それぞれ一流の料理だがそれらを口の中で混ぜてはいけないのと同じですね。ホ・オポノポノのヒューレン博士が、「ホ・オポノポノの瞑想をするときは他の瞑想法をミックスしてはいけない」と言っていたことの意味が分かりました。曹洞宗の坐禅をするときは心の中でもその流儀に従うべきで、その時、より深く無心を取ろうとして、天風会流ブザーの音を心の中でイメージして無心を取ってはいけない。どちらが良い悪いではなく、二つは波長(味)が違うのです。別の言い方をすれば、演歌をオペラ歌手がオペラ流に歌うと演歌の心が伝わらないということですね。演歌は演歌で、オペラはオペラで素晴らしいものなんですね。
以前から天風会で安定打坐をするときにヨガ瞑想方式の両手を膝の上に乗せ、手のひらを上に向けて瞑想をする人が時々いますが、無心になれれば別にどの方法でも構わないと思いつつも、なんか違和感を感じていたのはそういうことだったんですね。

許容

一般的に親から愛されなかった人、または愛されなかったと思っている人は人を受け入れることのできる範囲が狭い。人はこうあるべき、あーあるべきという言葉が多いし、人に要求する。充分愛されて育った人は人を許せる、受け入れる範囲が広い。だから幸せに育った人は幸せになる確率が高くなるし、そうでない人は低くなる。そうでない人が幸せになるには一度自己崩壊という強烈な経験が必要になる。そうすると価値観の回天が起きる。経験によって積み重ねられてきた価値観というものはとても狭いものだがそれが絶対正しいと多くの人は心の中で錯覚している。大抵の人は、人の話を受け入れるか拒否するか二者択一で生きている。人の話をまずは”信じない”なおかつ”疑わない”で聞き、後で自分の習慣的価値観による思考ではなく皮膚感覚、細胞感覚で検証してから判断するということが一歩次元の高い人間の生き方です。まあ細胞の声を聞くというのは無心で素直な状態でないと聞こえないのだが、その状態になるのが難しい。無心になる前に勝手な自己判断をしてしまう。

知識=science

知っている人も多いと思いますが私は最近気がつきました。英語で良心のことをconscience(コンシャンス)と言います。分離するとconとscienceです。scienceは科学(サイエンス)ですね。辞書によると知識という意味もあります。conは反対という意味ですね。知識の反対が良心、本心ということです。面白いですね。知識という知は口に矢ですね。口から人を傷つける矢が飛び出してくるのが知識ですね。英語でも漢字でも似た表現なんですね。

自由と調和

「力だ!勇気だ!信念だ!」と天風会では教えていますが、それはその通りですがそれは40歳までの話で40、50過ぎれば「自由と調和」だと思いますね。
自由とは心の自由、すなわちこだわらない、囚われない、執着しないですね。調和とは他人と合わせることではなく、本当の自分と自分の心との調和、その次に他人との平和的調和だと思います。自分の心との調和とは特に自分の過去との和合ですね。
自由と調和の基礎には本当の自分への理解と信念がないと出来ない。信念のないところに本当の自由も調和も無い。


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