釈迦やキリスト程の悟りを開いた人は世界にたくさんいたと思うんだよね。
その中で、なぜ仏教やキリスト教、イスラム教は世界に拡がり、時代を越えて残っているのだろう?残したのは釈迦やキリストではなくて弟子なんですよね。
弟子が立派だったんでしょうね、きっと?
天風教義は200年後、どうなっているんだろう?
本は極々マイナーな存在としては物好きな人によって残るだろうけど、クンバハカとか安定(あんじょう)というのは残るのだろうか?
「一心→無心→禅定→安定」となるのだけれど、禅定までも大抵の人は行かないので、安定の会得はなかなか難しい。でも人によっては病が治り健康になり、人によっては心の苦悩から心が楽になるだけでも充分と言えますね。それ以上を求める必要は何も無い。でもそれがすべてだと理解されると次の世代に教義の深奥が伝わらない。
天風式坐禅法とも言われる安定打坐は坐禅と似て非なるものと天風先生は言っているのに、二つは同じものと言ってその違いが分からない人(ベテラン)もいる。クンバハカは神経反射の調節法より遙かに深いものと天風先生は書いているのに、この違いが分からない先生方も多い。もちろん入会5年未満の人にそんな違いの説明をすると難しくて混乱するので無理だと思うが。
今はインドにヨガを学びに半年、一年、二年と留学する人も結構いる。
そういう人達が天風会に近寄らないのはなぜだろう?学びは人から人へと伝わっていくもんだと思いますね。人柄や理屈は良くても会得している人がいないと人は集まらない。会得していると思っている人はいるかも知れないけど?
もちろん人柄は立派な人が多いですが、人柄は必要条件だけど十分条件ではないですね。
人は偉い人の話を聞いても、自分の知っていること、興味を持っていることは記憶に残るがそれ以外は記憶に残らない。記憶に残らなかった中に大事な真理はたくさん秘められていたということはあると思いますね。私はかつては天風先生の講演テープをひたすら聞いていた時期もあったけれど、今は話しを聞くことよりも、ひとつひとつの身体の感覚の会得を大事にしている。歩くことだって、立つことだって正しい姿勢は難しい。
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